去年とは違う原発に対するスタンス。今年は、原発ゼロが目的であった。若くもない私を駆り立てるのは、やはり贅沢を謳歌してきた世代が未来に残したツケをどうやって償えるのか、ということでしかない。一度は実現した原発ゼロが、大飯によって無残に潰され、一度は2030年までに原発ゼロを決めたはずの政府が、米国と経団連により無残にも潰された。今年最後の砦の総選挙も、脱原発を争点にしないように巧みにかわされて結果は原発推進派の圧勝となってしまった。官邸前で、また、100,000万人集会や脱原発世界集会などでシュプレヒコールを上げても届かない。少しでも人数が多ければ何かが動くかもしれないと思った後のむなしさ。しかし、まだまだこの火は灯し続けなければいけない。
先日、福島原発告訴団の報告会に行ってきた。1万3262人+αの声は、福島地検に受理された。これは大きな一歩ではあるが、検察が強制捜査のステップに進まない限り起訴にはならない。そのためには民意が盛り上がる必要があるとのこと。こちらは、反原発集会による直接政治への訴えと違い、直接東電と政府の責任を追及するとともにすべての事実を明らかにすることができる。松戸から来た人が言っていたのは、ホットスポットがあちこちにある地域に住まされていて、このまま誰も責任を取らない、何の事実も明らかにされないのでは死んでも死にきれない。これから何ができるのか。告訴団本部と連絡を取りながらやれることをやらなければ。日本が行政訴訟をもっとやることが必要とのことである。ドイツでは、人口10万人当たり637件の行政訴訟があるそうである。日本は、わずか1.7件。これは、検討する価値がある。
福島もその周りの地域も原発の話は終わりにしたいようである。集会に行くたびに聞かされる話であるが、福島からの反原発のメッセージは福島の人によって非難される。風評被害を冗長するだけだと。栃木県の那須の人が言っていたのは、那須の人は原発事故はもはやなかったことにしたい、内部被ばくはないんだとしたい。除染は風評被害になり、観光に影響が出るから余計なことは言うなと。福島では避難区域が続々解除されている。解除することで住宅支援を打ち切ることができるとのこと。反対に、福島の子供の甲状腺の異常が40%に上るとの報告もある。ホットスポットをこのままにして、子供の将来はどうなるのか。チェルノブイリで起こっていることが、福島で起こるのかどうか。櫻井よしこさんは、今まで尊敬していたジャーナリストではあるが、年間20mSvで大丈夫と言っている。過度に不安を煽ることはしたくないが、どこに安全基準があるのかわからない。
イタリアの反原発運動家が、「イタリアは国民投票で反原発を決めた。日本も頑張ってほしい」と。ウクライナの活動家は、「ウクライナの住民は原発を作りたくない。でも、日本から日立が原発を作りに来るらしい。ぜひ日本から声を上げてウクライナに原発を作らないようにしてほしい」と。前にもブログに書いたが、日本が再びJAPと呼ばれないように、今のうちにやるべきことをやらなければいけない。
どうも、水俣病の話と似ているように感じてきている。数年前、当時の大臣がテレビで、「水銀が問題であることは分かっていた(問題である可能性が高いことは分かっていた、だったかな)。けれども、当時の高度経済成長の時代でそれを言うことはできなかった」と言っていた。ちょっとググってみて、「水俣病の教訓と日本の水銀対策」という平成23年の環境省の資料を見てみると以下のような記述があった。
• 水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠が認められないので(中略)適用することは出来ないものと考える。
なんか、どこかで聞いたようなフレーズである。そういえば、水俣病が流行る前に「最近、ネズミが多くて困る」という話があったようだ。魚を食べた猫が死んでネズミを捕らなくなったからとのこと。先日の反原発100,000人集会で、福島からの講演者が「福島では虫やカエルがいなくなった」と言っていた。なにやら、背筋が寒くなる話である。何十年も経たないと、真実は明らかにされないということであろうか。だとすると、住んでいる人たちがかわいそうである。福島の子供たちを疎開させる運動も起こっている。広河隆一さんが進めている「沖縄・球美の里」もその1つである。「20年に及ぶチェルノブイリの救援活動の経験から,被曝した子どもたちが、将来発症することを防ぐために「保養がいかに大切か」、たとえ1か月弱でも美しい空気と光に包まれて、安全な食べ物を食べ、思い切り毎日を楽しんで、ストレスから解放され、免疫力を高める生活が、子どもたちに一番必要とされることなのです。そして注意深く子どもを健康管理し、早期に対策を講じることも必要です。日本の中の他の場所での試みと連携することによって、子どもたちは1か月といわずさらに長期の保養が可能になるでしょう。」とのことである。そのほかの疎開活動もいろいろなところで進められており、どのように協力できるかを考えていきたい。
自分自身、反原発の立場で良いのかどうか迷うこともある。もしかしたら、ほかの原発は新しいので大丈夫なのかもしれない。もしかしたら、低線量放射線はそれほど問題ではないのかもしれない。国防上、日本は核兵器を持たないまでも核の技術やプルトニウムは蓄えておく必要があるのかもしれない。などなど。でも、やはり反原発だ。先日亡くなった中沢啓治さんは、「人間の手で制御できない原発ばかりに頼るのは危険だ」と言っている。原発は、まだ人間の手に負えないというのは事実であり、そうであるならばやはり反原発だ。
来年、なにができるかな。じっくり考えたいが、まずは今年最後の官邸前だ。
All we are saying is give “No-Nuke” a chance